CHM Realとは

CHM Realとは?

創立から早6年。CHMは主に旅行、グルメレポート、そしていくつかの個人企画を軸に活動、記録しています。

メンバーは幼稚園または小学校時代の同級生5人です。中学時代にCHMの原形のようなものが出来上がりそれが高校を経て今のような形で存続しています。

大層な目的なんてありません。友人と遊ぶのにいちいち目的や理由を考えている人はいないでしょう。しかし、ただの遊びでないことも確かです。普通、友人とただ遊ぶのにわざわざ集団を名乗り、それをウェブ上で記録するようなことはしませんから。

私たちがなにによって突き動かされているのかは自分たちでもわかりません。ですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それはともに日常に退屈し、非日常を求めている。誰しもそうではあるけれど、私たち5人は殊更その欲求が強かっただけかもしれません。類は友を呼ぶわけです。

NilsamくんがCHMの目的に付いて大層な考察をしてくれました。上の文章ですら書いてて恥ずかしかった自分としては、この文章を書き上げた彼の精神力の強さに脱帽せざるをえません。羞恥心を感じさせない出来です。

「CHM 存在の考察」(「メンバー」ページから飛ぶこともできます。)

 

CHMの歴史

2005年から活動を開始したCHMは2015年度で10周年を迎えました。これを期にCHMの生い立ちから現在に至るまで過去10年以上に渡る歴史を振り返ってみました。我々はどこから来て、そしてどこへ向かうのか。

2004年未明 CHMの前身であるNHKが発足
中学の同級生であったyutoとhakuの二人でNHKという組織を創設。NHK当時は主に下校時に通学路近辺を散策し、ときにはいたずらを働き、芽生え初めた厨二心の赴くままにさまざまなことにチャレンジする仲良し二人組といったところであった。

2005.5.7 初めてのCHM公式旅行が行われる
記録に残るはじめての公式活動として「昭和の森」を訪れた。当時の記録はこちら。ただしこの当時はまだ名称としてはNHKを名乗っていたと思われる。CHMと名乗り始めたのはメンバーが4人になってからだ(後述)。

2005年中旬 メンバーが4人になり、名称がNHKからCHMとなる。

創設当時のロゴ。書類などで使われた。

創設当時のロゴ。書類などで使われた。

このころから小学校来の友人であり、中学においても剣道部として交流のあったjingetuとnilsamが加入する。記録に残る4人での旅行で、最ものは古いのはこちら。これまた非常に印象深い旅行であった。メンバーが増えるとともに、名称もNHKからCHMに変更された。CHMという名の由来はCyber Hacking Members の頭文字である。これはいま考えると非常にイタくて頭を抱えたくなような中二病丸出しのネーミングだが、逆に当時の我々の様子の象徴とも言える命名でもある。私達が歩んできた(黒)歴史の1ページとしてあえて名称はそのままとなっているのだ。

2006.3 Real部門とCyber部門が新設される。

当時hakuが公開していた楽天ブログ。毎週チャットなども行っていた。

当時hakuが公開していた楽天ブログ。今見ると相当恥ずかしい。

このあたりはちょうど中学生の間でブログなんかが流行り始めていた。またmixiをはじめとして、現在まで続くSNS時代の黎明期と行ってもよいだろう。私達4人も例にもれずブログを開設しお互いに交流を図っていた。特にhakuとyutoがネット関係に強い興味を持っていたこともあり、そして上記のような時代背景も後押しして、旅行など従来のように現実世界での活動を行うReal部門とインターネット上でホームページ作成などの活動を行うCyber部門が新設されることとなった。そしてCHM創立メンバーである4人は全員その両方に所属していた。

2006.3.23 Cyber部門において入会テストが行われる。

当時は中学3年生である。私達の活動を知った仲の良いクラスメイトたちからCHMに入会したいとの申し出を受けることが何度かあった。そこでCyber部門にて新規メンバーを受け入れることにした。今思えばCyber部門における人数なんて何人でも構わないだろうに、そういうお年ごろ(察し)だったのだろう、あろうことか入会テストまで行われたのだ。いまも忘れない、放課後の図書室で自作のテスト(しっかりと印刷したものを配布していた)に取り組むクラスメイト数名を試験官のごとく歩き回りながら監視していたことを・・・そこを通りがかった英語教師に「What are you doing…」なんて言い出さんばかりの怪訝な視線を向けられたことを・・・今思えばまあ良く言えば青春の1ページだろうか・・・。

2006.3.23 Cyber部門に新たにメンバーが加わる。

ご丁寧にも合否発表の書類まで作成していた。

ご丁寧にも合否発表の書類まで作成していた。

前述の入会テストによってCyber部門には新たに同級生2が加わり、CHMは6人体制となった。Cyber部門はこれから1年あまりにわたって活動することになるが、その主な活動内容はホームページの更新である。現在のブログスタイルの前にはyahoo!のジオシティーズというホームページサービスでCHM公式サイトを運営していた。その内容は当時流行っていたメイプルストーリーというオンラインゲームについてが主だった気がするがとにかくなんだかんだ皆で協力して更新していたのだ・・・あの日までは・・・。

2006.中旬 クーデター勃発

当時流行していたアニメをモチーフに改竄されたCHM公式HP(再現)

当時流行していたアニメをモチーフに改竄されたCHM公式HP(再現)

事件は確か2006年の梅雨が明けた頃に起きた。CHM幹部の方針に対して不満を募らせていたNilsamが突然クーデターを起こすと高らかに宣言したのだ。彼は皆で力を合わせて更新していた公式ホームページをあろうことか当時流行していたアニメをモチーフに改竄し、なんと2ちゃんねるにCHM公式ホームページのURLとともに「スーパーハカーwwww」といったタイトルでスレッドを立てたのだ。我々は急遽ホームページ閉鎖、スレッドにおける情報操作などの対応策を取り、スレッドは>>1であるNilsamを叩く流れのまま100レスに至る前に落ちることとなった。特に何事もなくこうしてNilsamの虚しい抵抗は失敗に終わったわけだが、その代償は大きかった。その後CHMでは彼に対する査問会議が行われ、彼の会員番号を永久に最下位とする処分が下された。

2007.3 中学を卒業する。

中学卒業時にメンバー全員に配布された書類

中学卒業時にメンバー全員に配布された書類

CHMのメンバーは全員が同じ中学の同級生である。この頃には、Cyber部門のメンバーがさらに増えCHM合計で9名のメンバーがいた。しかし私たちはついに卒業を迎えて、それぞれメンバー全員がバラバラの高校へ進学することとなった。そしてこのことは中学という狭いコミュニティーによってつなぎとめられていたCHMにとっては瓦解のきっかけとなりうるのに十分な環境の変化であると思われた。私たちはどうにかCHMという組織をメンバーがばらばらになっても存続させようと努力し、卒業にあたりメンバー全員にいくつかのルールを提示した。その代表的なものが「強制退会制」である。これは、当時流行っていたネット掲示板を作成し、そこで雑談を行いつつ、1ヶ月以上書き込みがなかったメンバーに関してはCHMから除名するという強攻策である。こうすることで高校へ行きメンバー同士直接会うことができなくても、ネット上で交流し、CHMという組織の結束を保つことができるのではないかと考えたのだ。

2007.5ごろ CHM Cyber、消滅する。

失敗に終わった「強制退会制」

失敗に終わった「強制退会制」

結果的にいうと、強制退会制は失敗に終わった。最初の数週間こそ賑わっていた掲示板も、徐々に書き込みが少なくなり、高校が始まって1ヶ月経つ頃には誰もがその存在を忘れていた。こうして、ルール上、幹部も含めて全員が除名となりCHMは消滅したのである。しかしReal部門の4人は違っていた。中学の時のようにほとんど毎日活動するわけにはいかなかったが、それでも1ヶ月に1度は集まり、活動していたのだ。こうして、1年あまり活動したCHM cyber部門はあっけなく消滅し、結局創立時の4人のメンバーが残りCHM Realを運営していくこととなった。

2007.中旬 姫、入会・・・か!?

当時私たち、そして少女の集合場所となっていた”モニター前”。今となっては跡形もない。

当時私たち、そして少女の集合場所となっていた”モニター前”。今となっては跡形もない。

2007年から2009年、つまり4人のメンバーがそれぞれの高校に進学し、それぞれの環境で日々過ごしていたこの3年間は、暇なときに、放課後や土日などに千葉駅モニター前に集合し、食事にでも行くといった平和な時間が流れていた。いわば”青春時代”の、男子高校生たちの平和な日常については過去の活動を参照していただきたい。しかし、この”青春”には何かが足りていなかった。そう、女性の存在である。同じく過去の活動を見ていただければお分かりだろうが、我々の旅はいつもむさ苦しい。何故なら全くと言って良いほど女性が登場しないからだ。しかしご安心いただきたい。私たちがなにかジェンダー的マイノリティであったわけではなく、記録に残っていないだけでしっかりと女性が活動に参加していた時期があったのだ。その少女は私たちの中学時代の同級生であった。何かの縁で時折私たちの会合に顔を出し始め、そして共に食事をしたり、ポートタワー(当時私たちの溜まり場の定番であった)へと散歩をしたりしていた。しかしそんな日常も長くは続かなかった。高校生の日常というのは意外にも忙しいもので、気づけば彼女は集まりに参加しなくなっていた。こんな平和ですこし甘酸っぱいような日々は、今となっては皆の記憶から薄れているであろうなんでもない日常であるが、だからこそ記録に残しておかなければならない日常である。

2009.4.20 初めての「ぐるめぐり」

第一回ぐるめぐりの会場となった「ステーキハウス鉄板牧場 千葉店」

第一回ぐるめぐりの会場となった「ステーキハウス鉄板牧場 千葉店」

高校3年生になった私たちは1年後に控えた受験に向けて毎日が少しずつ忙しくなっていた。CHMとして集まる間隔も少しつづ長くなり、そんな状況に危機感を持った私たちが始めたのが”ぐるめぐり”、通称GMGである。これは月に1度千葉駅周辺の飲食店へ行きレビューをしていくというものである。そうすることで、これから突入していく受験戦争の中でも少なくとも月に1度は集まることになり、再びCHMの結束を強めるきっかけとなると考えた。結果的にはこの試みは成功したといって良いだろう。結局GMGは1年以上毎月行われた。

2010.3 高校を卒業する。

早いもので、私たちはあっという間に高校を卒業した。あっという間の3年間ではあったがこの間に周りの環境も、私たちの価値観も、そしてCHMの活動も大きく変わった。高校時代というのは何もなかったようで、今思えばそれだけ多感な時期だったのだ。そして、メンバーは再びそれぞれの道に向かって歩き出した。yutoとNilsamは大学へ、hakuとjingetuは浪人生活へと突入したのだ。しかし全員が今まで通り千葉に住んでおり、当然のようにこれからも千葉駅モニター前に集合してCHMとして変わらぬ活動をしていくものとばかり思っていた。私たちは中学卒業をも固い結束によって乗り越え、この時すでに5年間も活動していたのだから・・・。

2010.10.24 独自ドメイン取得

このブログはもともとpress9という無料のブログサービスを使って運用されていた。しかし、私たちの活動も5年目を迎え、さらに今後さらに活動を拡大していくことを考えてついに独自ドメインを取得することになった。”chmreal.jp”が誕生した瞬間であった。

2011年度 公式活動、0回。

ご覧の通り、2011年度の活動はわずか1回である。

ご覧の通り、2011年度だけすっぽりと記録がない。

2010年度はまだよかった。何故なら大学生の二人も、浪人生の二人も皆千葉を活動の拠点とし、そして慣れない大学生活、予備校生活の不安をCHMで共有していたからだ。花見へ行ったり、花火をみたりと高校時代となんら変わりなく平和な日常を送っていた。そんな状況が一変したのは、2010年度の受験が終わり、jingetuが無事に大学生になり、そしてhakuが2浪目に突入することとなってからだ。hakuは2浪目を単身大阪で過ごすこととなり、CHM史上初めてメンバーが千葉から離れることになったのだ。このことは私たちの結束に予想以上の影響を及ぼした。各々が大学生活にも慣れ始め、忙しくなったこともあっただろう。それまでに5年以上活動を続けてきたCHMが、ぴたりと活動をやめたのだ。2011年度は、まさにCHMの”暗黒時代”とも言える1年間であった。

2011.3.11 東日本大震災

松島で震災に見舞われたNilsam。(「東京ぼっちA-22」より)

松島で震災に見舞われたNilsam。(「東京ぼっちA-22」より)

私はお茶の水の予備校で震災を経験した。千葉は陸の孤島と化し、その日のうちに東京から千葉に帰ることは叶わなかった。Nilsamは”東京ぼっち”という自企画の活動中であった。ここに当時の貴重な記録が記されている。私たち自身が大きな被害を受けることはなかったが、今思えばCHMにとって来るべき暗黒の2011年度を暗示するような悲しい災害であった。

2012.2.26 活動再開

ブログの更新作業をするNilsam

ブログの更新作業をするNilsam

2012年2月14日、CHMメンバー全員が大学生となった瞬間だった。hakuが大阪から千葉へと帰郷したことで私たちは再び一堂に会し、そして活動が再開された。大学生となったことで私たちの活動の幅は大きく広がった。何よりも移動手段として車を使えるようになったことが大きい。同時にこのブログの更新も活発となり、過去の活動一覧などが整備されたのもこの頃である。

2012.2.12 ”みきろ”初登場

みきろ初登場の瞬間。それにしてもひどい写真だ。(撮影:jingetu)

みきろ初登場の瞬間。それにしてもひどい写真だ。(撮影:jingetu)

CHMは長らく4人体制で活動してきた。それは私たちが心のどこかで排他的仲間意識を強く持っていたからだろう。それゆえ、CHMは新たなメンバーを募集することもなかった。しかしここにきて一人の男が登場する。彼はもとはと言えばCHMメンバー4人と同じ千葉県の小学校出身であった。しかし中学ではるか西方へ転校し、高校になると再び千葉へ帰郷した。転校後もNilsamと交友があったこともあり、帰郷と同時に私たちの活動に参加することが多くなっていた。初めこそCHMの活動を怪しみ、そして所属することに警戒を示していた彼であったが、気づけば私たちと意志を共有し、そして世界の脱構築という最終目標を共に志すことなった。2012年2月12日からのインド旅行で”ゲスト”として記録上初めて登場した彼は、2013年3月16日からの猫魔スキー旅行で”外部顧問のしゅんさん”として再び登場し、着実にメンバーとしての地位を確かなものにした。

2013年度 暗黒時代再び。

オークションで落札する羽目になったドメイン。

オークションで落札する羽目になったドメイン。

「過去の活動」を見て欲しい。2013年は猫魔スキー場の一件のみしか記録にないことがわかるだろう。CHMに再び暗黒時代が訪れたのだ。今回の原因はそれぞれ就活や入院(!?)などCHM以外の活動が忙しくなったことにあるだろう。しかし安心してほしい。記録にないからといって私たちが指をくわえて何もしていなかったわけではない。当然定期的に集まって飲み交わしていたし、お互いに連絡は取り合っていた。ただブログを更新する余裕とモチベーションがなかったのだ。だいぶ先のことにはなるが、このモチベーションの低さが仇となってせっかく取得したchmreal.jpのドメインの更新を忘れ、海外のドメイン業者に買収されかけるはめとなった。結局この時はオークションで高い金を払って落札しことなきを得た。

2014年度 大学卒業、そして復活。

CHMで悪天候といえば高滝ダム。あの事件の日も確か激しい雨が降っていた・・・。

CHMで悪天候といえば高滝ダム。あの事件の日も確か激しい雨が降っていた・・・。

現役で大学に進学したnilsamとyutoが卒業した。長きにわたる学生生活に終止符を打ったのだ。しかし、CHMの活動に終わりはない。「過去の活動」を見ればわかるように社会人になったからといって活動が縮小するわけでもなく、むしろ暗黒時代を切り抜け、活動が活発になっているのだ。CHMは逆境と、そして天気に強いとはこのことである。

2015年度 CHM、10周年を迎える

2005年を創立記念年とすると、2015年でCHMrealは10周年を迎えたことになる。ここまで10年間にわたるCHMの歴史を振り返ってきたが、最後に、「CHM Real活動記録」の看板とも言えるTOP画を振り返ってみたいと思う。TOP画は5周年、6周年に二度、8周年、そして10周年と現在のもので5代目である。これらはその年の旅行でのベストショットをオリジナルで加工したもので、その全てが思い出深いものだ。これからもCHMの活動は続いていくだろう。そしてその歴史を刻みつける年輪のようにTOP画はこれからも増え続ける。

※記録が残っているものに関しては、画像をクリックするとその時の記録へ飛びます。

初代ロゴ。5周年を記念したものだが文字都合により6thに。

初代。5周年を記念したものだが文字都合により6thに。筑波山。

2代目。6周年を記念したものだ。

2代目。6周年を記念したものだ。尾瀬。

3代目。同じく6周年を記念したものである。なぜか更新されていないが、京都で撮影されたもの。

3代目。同じく6周年を記念したものである。なぜか更新されていないが、京都で撮影されたもの。

4代目。8周年を記念したもの。これも更新されていないが、隅田川でライトを流すイベントが行われたときに撮影したもの。

4代目。8周年を記念したもの。これも更新されていないが、隅田川でライトを流すイベントが行われたときに撮影したもの。

現在の5代目。10周年を記念したものである。鳴門海峡。

現在の5代目。10周年を記念したものである。鳴門海峡。