11th 3月, 2011

東京ぼっちA-22 ② 松島海岸~仙台

2011年3月11日 松島海岸から仙台への記録です。  

駅からの一枚 これで日本三景全てに足を踏み入れた事になりました。そういえばどれも海と関係していますね。

とりあえず渡月橋の方へ向かいました。

だんだん雪が強くなってきてグロッキーです。

そうですね、丁度この写真を撮ったころでしょうか。非常に激しい揺れに見舞われました。島全体が振動し、最初は地震と別概念の事象かと思ったんですが、地震でしたね。

最初は程度が分からなかったのですが、津波が頭によぎり、観光を捨てて駅に避難です。道にひびが入っていました。

建物が目視できるにつれて、その重大さが理解される。

瓦が吹っ飛んでました。近くに居たら危ないですね。

高台のホテルに避難して、なんとか津波を回避です。雪もひどく、疲労もあったので流石に見に行く気にはなりませんでした。17時を回る頃には天候が回復してきます。

自衛隊の車も到着し、非常事態を物語ります。

私が居た所は、運良く比較的津波の被害が小さい地域でした。

このままでは埒があかない、恐らく2発は来ない、来たら死のうと思考が働き、異常時の精神状態に移行して、左上の標識を参考に仙台まで歩く事にしました。今地図を見ると、津波の心配のない内陸の街道に向かうべきだと思うのですが、今だから言える事です。この時もスマホのマップを見たはずなんだけどね。

駅前です、津波の到達を受けて物資が散乱していました。

海岸沿いの国道沿いに進みます。

高い位置まで水が来ており、車が不自然な位置に存在していました。

凄く奇妙な気分だったのを覚えています。

段々日が暮れてきましたが、これは仕方のない事です。何かが横転していました。最初は車かとも思いましたが。

近づいてみると、まずは遊具があってはいけない場所にあります。

汽車の遊具が流されたものだと分かりました。凄い威力ですね。

ここから多少時間が空きます。補足しておくと、出会ったおじさんに国道の不通を告げられ、東北本線上を歩く事をアドバイスされたのですが、線路に登るとjrの職員に出会い居た堪れなかったので、結局マップを活用して街道に上りました。最初からそうすりゃ良かったのは先述のとおり。雪道の峠越えはなかなか身体にこたえましたが、なんとかなりました。そして街道をひたすら仙台へ。横に車が居たので安定していました。

何故ヒッチハイクをしなかったのかという疑問がわきますが、美徳(笑 とでも思って下さい。出来る限りは自力で行こうと思っていました。異常な車の列です。

そのおかげである程度写真を撮る事が出来ました。ガラスの酷い状態。

歩道に瓦が飛散していました。

地割れですね。

17時から23時ですから、ざっと6時間程で仙台まで戻ってきました。電車だと30分ちょいで着くのに、徒歩だと大変です。

仙台駅は封鎖されていました。電気が通っているのが羨ましいです。

これは誇張しすぎですが、街灯が無いと周りが見づらいです。

その後予約していたカプセルホテルまで向かい、臨時休業の札を無視して侵入し、話をしたら泊めさせて頂ける事になりました。蜜柑を一つもらい、就寝です。

次へ

Responses

[…] 次へ […]

Leave a response

Your response:

Categories